足立ケーブルテレビ

レポーター 「本堂は随分とモダンな建物ですが、500年程前室町時代からある大変 歴史のあるお寺です。 以前は2800坪の広さがあり、大きな本堂もあったようですが、戦争で建物や宝物など全てが焼けてしまいました。 昭和47年にこのような鉄筋コンクリート造りに生まれ変わったということです。さて、それではこちらの瑞応寺にはどんなお話が伝わっているのか見てみましょう」

『瑞応寺の夕顔観音』のおはなし⇒

レポーター 「この夕顔観音に会いにいらっしゃる方もいるんじゃないですか」
住職 「はい。かなり広くこの夕顔観音の伝説が行き渡っておりまして、 物で読んだり、人に聞いたりして訪ねて来られる方がいらっしゃいます」
レポーター 「実際にはこの夕顔観音は?」
住職 「はい、不幸にして第二次世界大戦の時に戦災に遭いまして、大げさに言えば 全部焼失してしまった時、一緒に焼失致しました」
レポーター 「焼けてしまったということで、現在、本尊の方には?」
住職 「本堂を復興した時に、その夕顔姫にちなんだ観音様をご本尊として、今、 祀ってございます。これはごく当たり前の観音様の、本当に典型な観音様の彫像です」
レポーター 「夕顔観音にまつわるものというと、どんなものが残っているのでしょうか?」
住職 「残念ながらですね、戦災に遭いまして全て焼失致しました。そして唯一残って いるものは、石でできている板碑ですね。そういうものは少しある程度です。本当はお墓に建っていたんですけれども、お墓にあると傷が付いたり、破損したり、あるいは盗まれたり、色んなことに遭うといけないので、永久保存の意味を持ちまして、本堂の壁に埋め込むことになりました」
―現在足立区有形文化財に指定されている。
レポーター 「これからこの瑞応寺、どんなお寺にしていきたいですか」
住職 「ええ、妙円尼様のやったことをやりたいと思っているのですが。 大勢の人が気軽に集まって頂いて、出来ればお風呂なども用意して、お年寄りの方が お風呂に入っていけるとか。 幸い娘が今、医学部で勉強しておりますので、無料の診療所を開くとか、そういうことを期待しております」
レポーター 「そうですか。これからもご活躍下さい。どうもありがとうございました」

「さて、続いても瑞応寺さんにまつわるお話です。このお寺では、ある出来事以来、お寺にとってとっても大切なものが無くなって しまったということなんですね。このある大切なものというのは何でしょうか。 皆さんお気づきですか?それでは、ご覧頂きましょう」

『鐘ヶ淵の由来』のおはなし⇒

レポーター「足立区と墨田区との境、ちょうど千住曙町になるんですが、こちらにやって参りました。ここは隅田川。現在の荒川方水道ができるまで荒川と呼ばれていました。
さて、瑞応寺の鐘なんですが、ちょうどこの川が歪曲した辺りに沈んだということですから、このあたりに沈んでいるのかもしれません。
余談ですが、化粧品で有名なあのカネボウがこのすぐ近くにあります。このカネボウの社名の由来をご存知でしょうか。鐘ヶ淵紡績が、現在のカネボウになったということです。カネボウの鐘は、鐘ヶ淵の鐘。瑞応寺の鐘が沈んでいなかったら、社名には使われなかったかもしれませんね」